さくらももこ の訃報に接して

九時のニュースでさくらももこ死すとあって「ショックだよ」「若すぎる」「まるでちびまる子ちゃんが死んじゃったみたい」

吉本さんが死んだと聞いたとき以来のショックだ。

何かの番組でマツコデラックスが、しゃべくり007だろう、ブルゾンちえみというものが出てきたとき、「この子はクル!」と直覚したのだそうだ、ビビッと来たというやつだね、その「ビビッと」は六万ビビットほどで、マツコのビビリーパネルが六万ビルルを計測したのは宇多田ヒカルが出てきたとき以来だという。

それを聞いた上田画伯は「ほええ!ひっきい以来!」と仰天した。

さくらももこが死んだと聞いたとき、私は、私が悲しむより早く、「これは私たち世代にとって大きな大きな損失だ、ほとんど世代にとっての試練と呼びうるほどの」と直覚した。「告知はそれを受け取るがわからいつも無限の重荷である」とはその吉本さんの言葉だ。

 

☆「私とちびまる子ちゃん」☆彡

 

テレビでまるちゃんが9歳だったときぼくも9歳だった。「おんなしだね、まるちゃん」。9歳は永遠だった。その永遠の都をぼくだけが追われることになる。とどまるはまるちゃん、9歳の国ネヴァーランドに。お別れの場面:「行くのか、ピグミン(ぼくの名)」

「うん、まるちゃん、お別れだね」

「ぼくのこと憶えていてくれる?」「憶えているよ」「ずーっと、ずーっと?」「ずーっと、ずーっとだ」「やった」「うん」「やったね」「だよな」「まるちゃん、ぼくのこと、ずーっと憶えていて忘れないでね!(ウン、)そしていつか迎えに来てね。待ってるよ。時の移ろいのただなかで」「波のまにまに?」「ウン、移ろう時の、波のまにまに」「だよな」「ウン」「ね」「YES」「ほい」「ヌ」「それじゃ、もう行きなさい、ピグミン」

そうして私は出かけた。それから随分、とおく来た。We have come so far、yet got so far to go、お聞きください、ジェイディラ、レストインピース。

 


Common (Ft. D'Angelo) - "So Far To Go" (Prod. By J Dilla)

 

私たちはどこまで行くのだろうもう果てしがない気がしていた、とは石ノ神、オシリス。本当に私たちはどこまで行けばいいのだろう。

どこまで行けばさみしさの果てなむ国ぞってね。私は名をはいまわりー(這い回り)とかえて、とおくきて、今ここにいる。果てなき旅の今がその最遠点だ、いまはまだ。

☆彡、ちびまる子ちゃん、レストインピース。

愛・唱・歌、とはその吉本さんの「記号の森」の変な帯だが、私にも愛唱歌のように口ずさむ(?)鍾愛の名篇があって、たとえば、

ニュースウォッチ9でやってたシーチキン(ンキチーシ)のノートを取り合う話もそうだし、

グッピーを飼う話もそうだし、洋館に行く話もそうだし、父ヒロシとデパートの幽霊屋敷に行く話もそうだし、男子対女子の大戦争(ライダーカード!じんぐうじハヤト!)もそうだし、母の日のプレゼントにハンカチを贈る話。健康マシンをめぐって離婚しそうになる話。洪水の話。

最後にあげた三つなどは私にはそれぞれ愛・不幸への憧憬・災厄への妄想(罹災願望)といったもののレッスンであった。私はこれらをちびまる子ちゃんによって教えられたといってもいい!(人生はドラマだよ、というあのせりふ!)

 

私は永遠の国を逐われ、爾後、私はその折々の私の”現在”を、あのネヴァーランドにとどまったちびまる子ちゃんとの距離、そこからいまの自分がどれだけ離かっているかによってはかってきた。

さくらももこその人の死に私は涙をそそがない。

しかし、どういうわけか、その人の死は、ちびまる子ちゃんの死、として私に受け止められるのだ。

ちびまる子ちゃんの生を裏がわから支えていたとある生者(人間)が奈落に墜ちた。そのことによって以後、どうしようもなく、ちびまる子ちゃんは冷たく生彩を欠くものとなる。

だから私はこのように言うことになるのだ――2018年8月27日は、”ちびまる子ちゃんの命日”。