大量のスタミナ消費を強いる(ひいては虹の宝石の使用を強いる)vsドフィと青雉vs赤犬が連続して、あまつさえ期間重複していることは解せない

最初の話題:vsドフラミンゴ(技)

糞イベントだなー。

いま人形48体。あと52。未だ半分にとどいていない。全道程で15ターン(うち敵行動は9回+先制3回)攻撃はミスタップとフリックのみというカイドウ思考停止パ、ゆえに、たるく、ながら(エロ動画見ながら)で周っていて、したところうっかりしらほし発動せずに6F突破してしまい頓死。みたいなこともあって、

はー、

終了は近いので(あと1日半)、石は使わないといけない。計算上は、6個使えば足りる。あー、死にたくねえな。本当に死にたくない。

とか言ってたら、

次の話題:激闘!青キジvs赤犬

既視感。運営の "次なる一手” はまたしてもガッカリか。ここは何か、オバケの演兵場か何かか?

なんだろう、俺はまたしても、昨日おととい言ったことと全く同じことをほざきながら、つまりは赤チケのためにはエンヤコーラとて体力回復目的で石を使わなければいけないか。

ならないのである。同工異曲のイベントをぶっこんできたわけだ。ハロウィンが終わると、つぎクリスマスがくるまでに、このように冴えない埋め草を連ねなければならないかな?

しかも、である、vsドフィの期間が満了しないうちに、始まるのである。そんなのありか?

言い換えると、ていうか、状況を整理しますと、

vsドフィは、本質的に、赤チケのために石を使わせるイベントです。

で、新たに始まる、青雉vs赤犬も、その本質は、赤チケのために石を使わせるイベントです。

で、両者が相次いでいることは、運営の「単調さ」への無感覚(あるいは感覚麻痺)を示していると思うし、

ともに会期の短い両イベントの期間が丸一日もかぶっていることは、スタミナを不足させる、そして(赤チケというおいしそうなニンジンを目の前にぶらさげて)石の消費にユーザーを駆り立てる、露骨に商魂ドリブンな施策だと思われて不快です。

 

Oh! Darling! という歌がありますよね。ポールマカートニオの。唐突に大きな文字で言うことじゃないですけど。

 

で、話を戻すと、

全然ちがう角度から、ていうか裏側から、この事態を語り直してみると、

俺は、「赤チケには石10個やそこら使う価値はある。石の賢い使いどころは正月および周年である、という命題が真なら、必然の帰結として、石10個程度消費して赤チケが入手できる機会にはそれをするべきである」という論理の虜囚になってしまったようである。

は?

と思われるかもしれない。解説しよう。やっぱやめよう。

で、その論理を開発してから、その論理にドライブ(駆り立て)される形で、おれはビートル図をかりた。セックスピストル図をかりた。したらロックンロールは鳴りやまないっかったわけだ。といのは冗談として。トレマに石を使った。vsドフィに石を使っている。で、それでいったん終わりかと思ったら、また青雉vs赤犬とかいうのが始まって、こんども石を使えば赤チケが手に入る、そして石を使わねば赤チケが手に入らない。(どう考えてもそう)

俺が自らの論理に忠実である限り、そして俺はたしかにその論理の正しさを信じている、であれば、私は石を使わないわけにはいかない。それも、今度という今度は、20個近くを。(青雉に10、赤犬に10)

自縄自縛というやつである。自ら綯った縄で、自ら縊れる。地産地消ともいう。つまり地場産センターの中心で愛を叫ぶ!たくあんのにおい。

 

俺は自由になりたい!すべての犬が自由をほっしている!

犬たちの自由の星こそが人間だった!

しかし自分の論理の正しさを確信しているときに、どうしてその論理から目を背け、そこから逃れることができる?「できるのだ」とドストエフスキーは一貫して説いているわけだ。が、俺は最近はどふすそえすすきいは三流の売文家だと思ってきているよ。ンなわけで。